寂しいというのは、必ずしも孤独だから起こる感情ではなく、孤独という言葉だけでは言い尽くせない感じがあります。
寂という字はとても深く、寂しいというのは、一人でいる孤独が苦痛でなければ、そうした感情は起こり得ません。
本当に孤独で寂しい経験をした人は辛いでしょうが、1人でも一緒に共感して笑える人がいれば随分違います。
自分の事をわかってくれない人がそばにいなかったり、人から必要とされてない孤独感があると、寂しいと感じます。
話し相手が誰もいないと孤独を感じ、胸の辺りがドーンと落ちるような気持ちになって寂しい思いにかられます。
もし、人の寂しい気持ちがわからない人がいたとしたから、その人は、気持ちが満たされている証拠と言えます。
毎日一緒にいて笑い合える人や、全ての人と関係を絶った時に、人は、寂しいという感情に支配されます。
寂しいというのは、孤独という感情と連動する傾向にあり、例えば、子供の頃、迷子になると孤独で不安になります。
迷子になると、孤独になって寂しい気持ちに襲われ、不安になって辛い感情に支配されます。
家に帰ったら誰もいなくて、家に入ってもシーンとした状態になると孤独感に苛まれ、寂しい気持ちでいっぱいになります。
どんどん外が真っ暗になり、それでも家の人が帰ってこないと、非常に寂しい気持ちになって、孤独になります。
そうした状態はまさに孤独で、寂しいと感じて、また、悲しい気持ちにもなってきて、どうしようもなくなります。
特に子供のころは寂しいという感情が多く、孤独に感じるのは、やはり、精神的に自立していないからでしょう。
ただ、寂しいには色々あって、本当の寂しさというのは、孤独ではなく、もっと強烈なものかもしれません。
寂しい感情は、本人がそう思えばそうであり、その心や、その場所によって、感じ方は変わってきます。
いずれにせよ、寂しいとか、孤独というのは、他人が決めることではなく、自分で感じるものです。
子供夫婦と暮らしている高齢者の中には、家族といても孤独感を感じ、寂しいと思っている人が少なくありません。
結局、寂しいというのは、自分の思い込みで孤独に感じて、勝手にその気持ちを強めているという側面もあります。
そうした人は、まさしく寂しい人であり、単に孤独だからという面では、測れない部分があります。
よくよく考えると、寂しいというのは、自分が責任の取れない他人に対して、決め付けていうべきことではないのかもしれません。
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